令和4年の地質巡検は、日本列島の形成に大きく関わるフォッサマグナ、そしてその境界線となる糸魚川静岡構造線。
日中の日差しに夏の気配を感じる6月9日、ユネスコ世界ジオパークに認定された地質の街・新潟県糸魚川市を訪れました。
ジオパーク糸魚川の中心施設・フォッサマグナミュージアムや、断層の露頭が保存されているフォッサマグナパークで、ここ糸魚川市でみられる様々な地質について学習しました。
フォッサマグナミュージアムの入り口では、巨大なヒスイの原石と、付近で採れる種々様々な岩石が置かれており、あまり馴染みのない「苦土リーベック閃石曹長岩」といったものから、土木工事の困りもの「蛇紋岩」なども実際に目で見て、手で触れて観察することができました。
エントランスにも展示物や地元PRビデオがあり、2021年に「ブラタモリ」にて訪れた地などの紹介もありました。
ミュージアム内は第1~第6まで展示室が分かれています。
フォッサマグナ
フォッサマグナとはラテン語で「大きな溝」。溝と言っても、周囲と比べてへこんでいるような地形的な溝ではありません。
このフォッサマグナ地域の地質は約2500万年前の新生代のものであるのに対し、これを挟む東西の地質は5億年以上前の中・古生代のものという、世界でも類を見ない地質年代の隔たりがあります。
つまり、地質学的な大きな溝ということで、明治時代の地質学者ナウマンがフォッサマグナと名付けたのです。
もともとは大陸の一部だった原始日本は、約2000万年前、プレートの沈み込みに伴う地殻変動で大陸から分離していきます。
その後、各プレートの沈み込みの方向性が異なることから(日本海溝と南海トラフ)、日本群島は真っ二つに分断されます。
この折れた日本群島の間に地層が堆積したことがフォッサマグナの誕生であると推測されています。
糸魚川-静岡構造線
糸魚川-静岡構造線は、糸魚川市の親不知(おやしらず)付近から諏訪湖を通って、静岡県駿河区の安部川に至る、フォッサマグナの西端の地質境界となる大断層です。これを境に、東北日本と西南日本に分断されます。
中央構造線と並んで、日本列島の地質を大きく分断しています。
この断層沿いに街道も整備され、江戸時代などは行商も行き交ったそうです。
フォッサマグナパークは遊歩道が整備された、糸静線の断層露頭が観察できる公園施設です。
海底火山からのマグマが露出した、枕状溶岩。フォッサマグナが海だった頃の、海中で起こった海底火山の活動の大きさを感じさせるものでした。
ヒスイ
東洋では古くから重用された宝石の一種。
糸魚川の長者ヶ原遺跡では、約5000年前の縄文時代に日本最古にして世界最古のヒスイの加工が確認されています。
ヒスイは、沈み込み帯で生成される変成岩である蛇紋岩中に含まれます。
造山活動で蛇紋岩が地表に押し出される過程で種々の鉱物を取り込み圧力を受けた結果、ヒスイが産まれると推定されています。
プレートの境界に位置する日本ならではの宝石と言えます。
ヒスイのイメージは深緑色ですが、本来は様々な色が存在します。
縄文・弥生時代には装飾品として日本全国に運ばれており、朝鮮半島にも日本からの交易品として渡った痕跡が確認されています。
しかし、奈良時代を最後にヒスイの利用はほとんど見られなくなり、歴史から姿を消します。
この、ヒスイ文化の突然の衰退は歴史のミステリーとされ、解明されていないようです。
糸魚川市のヒスイが見つかる海岸をヒスイ海岸と通称しています。
我々もヒスイを見つけるぞ!と勇んで海岸で探し回りましたが・・・いざ実際に見るとなかなか見分けがつかない!
現地では波打ち際で海に膝辺りまで入ってヒスイを探している人もいたり、平日の午前中だが先客は何人もいたもよう。
この日は雨のせいでほとんどの石が濡れてキレイな光沢を放っており、どれもこれもヒスイなのでは?と思ってしまうような状況でした。濡れた石が乾くと光沢が消え、明らかにヒスイではないと分かるのですが・・・
糸魚川市の海岸で見られる石の種類は日本一(自称)らしく、火成岩、変成岩、堆積岩と様々な石が観察できました。
NHKの「72時間」でヒスイ海岸が放送されるそうです。
フォッサマグナミュージアム敷地内「化石の谷」での化石発掘体験では、ウミユリの茎や二枚貝・巻貝などが見つけられました。
糸魚川名物・ブラック焼きそばは、イカスミで真っ黒な見た目も味もインパクト十分な逸品でした。
世界ジオパークに認定されているだけあって、施設やフィールドワークが行える場所が充実しており、この糸魚川での巡検は
実に充実したものであったと感じました。